親の不法行為責任

 

今回は,親の不法行為責任についてです。

 

 

少し前のことになりますが,子供が蹴ったサッカーボールを避けようとしてバイクを運転していた人が転倒して,その後死亡したという事件で親の責任を否定する最高裁判決が出ました。

 

 

当時,小学校6年生だった子供が放課後,フリーキックの練習をしていたところ,蹴ったサッカーボールが校庭から外の道路に転がったということです。

 

 

一審及び二審は親の監督責任を認めていました。

 

 

この最高裁判決の話をするためには,「不法行為責任とは何か」「親の監督責任とは何か」から話す必要があります。

 

 

不法行為責任とは,簡単にいうと,「悪いことをして誰かに損害を与えたら賠償責任を負う」ということです。

 

 

現在,不法行為責任に関しては,世界各国で,「過失責任主義」がとられています。これは,生じた結果に対して「故意」や「過失」がなければ責任を負わない,という原則です。「過失」とは簡単に言うと不注意のことです。

 

 

もともと,古代ローマの時代には「結果責任主義」といって,起こった結果については原因を作った人がすべて責任を負うとされていました。

 

 

これが一方で,哲学の分野では,「人間は意思によって行動する」とか「自我」の概念などが発展していき,「意思」に基づく行動でなければ責任を負わすことはできないという考え方が出てきました。

 

 

他方では,経済の分野で,「結果責任主義」では恐ろしくて大きな経済活動ができない,人並みの注意をしておけば責任を負わされない,とすることで活発に活動ができるようにする必要がある,という風に変わっていったわけです。

 

 

このようにして,現在では「過失責任主義」が原則であり,そのこととの関係で「自分の行動の結果,どういう責任が発生するか」を理解できないものに責任を負わすことはできない,という「責任能力」がなければ責任は負わない,との考え方が出てきました。

 

 

そして,現在の日本の法律の解釈として,未成年者の責任能力は,「行為の結果,どのような責任が発生するのかを理解できる能力」といわれています。

 

 

今回の事件では,ボールを蹴った子供は当時小学校6年生で「責任能力がない」とされました。

 

 

子供に責任能力がない場合,法律では原則として親が責任を負うことになっています(民法7141項)。

例外として,親が監督義務を怠らなかったときは責任を負わない,となっています。

今回は,この例外にあたるかが問題になりました。

 

 

そもそも親が責任を負うという考え方は,家長が家族の行動に責任を負う,という団体主義の考え方が今でも残っているからです。一方で,監督責任を怠らなければ責任を負わない,というのは「過失責任主義」の考え方です。

つまり,団体主義と個人主義の両方を調和させているのです。

 

 

今回は,親が監督義務を果たしていたのかが問題になりました。

法律の世界では,「例外」は簡単に認められません。そのため,これまではほとんどの事例で親の責任が認められてきました。

 

 

これに対して,今回は親の責任を否定したので大きく取り上げられました。

 

 

報道だけでは事実関係の詳細は分かりませんが,報道によると,判決では「日常的な校庭の使用方法で,通常は人に危害を与えるものではなかった」と述べられているようです。

 

 

「通常のしつけで防止できる事故ではなかった」と判断したということです。